メモの事。

整合性をさておき、いくつか韓国について羅列してみる。(頭の中には漠然とある様なのだが、まとめれないため)
チラシの裏でやるべき事ではある。


・韓国人の親しい人への「情」を認めた時、ベトナム戦争における蛮行や韓国を批判する日本人「右翼」へ言い放つ残虐な言葉に対しての疑問が生じる。
・韓国人は「情」を重んずる。論理や倫理、法、マナー等よりも。例。討論や議論において、韓国人にとって不快な主張がなされた場合、「何故韓国人が嫌がることを言うんだ」「私の気持ちを考えろ」「韓国への愛はないのか」と述べる。また、感情から生じた主張の否定を後付けの理屈で補おうとするため、論理の破綻が発生しやすい。
・目先の「快」を求める。「快」である事由はほぼ無条件に肯定され、他者により、その事由に対して論理、法、マナーによる否定がなされても、事由の肯定は覆らない。例。漁業協定違反を犯しても、利益が大切、と開き直る。目先の利益のみ考え、後の悪影響を考慮出来ない。
・「道徳」という「情」「快」の肯定。「不快」の否定。
・仮説。人間関係は共感による「情」で作られる。自我の希薄さに伴い、自分と他人を区別出来ない。他人の気持ちを慮る発想が無いため自己中心的である。だが、ほとんどの人が持つ特性であるため、自我が溶け合った集団を生成し、一致団結してみせる。(幼児期を元にした私の想像)
・100年前の批評。イザベラ・バード。彼らは考えて話しているのはなく、聞いたことを言っているだけ。
・異論を許容しない。


まだ在るが、とりあえずココまで。